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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)4547号 判決 1986年8月25日

原告 滝川正景

被告 亡滝川秋子遺言執行者小谷秀紀

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  亡滝川涼子のなした昭和59年5月14日付死亡危急時遺言が無効であることを確認する。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二、当事者の主張

一  請求原因

1  遺言者亡滝川涼子(以下「亡涼子」という。)は、昭和59年5月19日死亡し、同女には配偶者、子供がいなかつたため、法定相続人としては、兄弟姉妹である原告、訴外滝川正景、同石黒美和子の3名がいるのみである。

2  亡涼子は、昭和59年5月14日付危急時遺言書をもつて遺言(以下「本件遺言」という。)をなしたが、その遺言の要旨は、被告小谷秀紀を遺言執行者に指定し、同遺言執行者において亡涼子の唯一の不動産を換価処分して、その代金中から訴外滝川正景に金3,000万円、同石黒美和子及び被告石黒健に各金1,000万円を遺贈し、その余の金員の殆んどすべてを被告学校法人加藤学園に寄付する、という内容であつた。

3  しかしながら、本件遺言は、次に述べるとおりその要件を欠くものであつて、無効である。

(一) 本件遺言は、それがなされた当時、遺言者である亡涼子が未だ「死亡の危急に迫つた者」とはいえないから、無効である。

すなわち、亡涼子は、○○○○○病院に「子宮ガン」で入院し、加療を続けていたが、昭和59年5月19日病状が急激に悪化して、同日同病院で死亡した。本件遺言書は、その4日前である同月14日に作成されているが、担当医師の話では同日午後3時すぎころ、被告遺言執行者小谷秀紀の依頼により亡涼子の「意識がはつきりしているか否か」、「判断力があるか否か」、「字が書けるか否か」について診断したところ、亡涼子は概ね正常であり、文字を書くことも差し支えない状態であつたのであり、このことは同医師から右被告に伝えられた。つまり当日は、亡涼子について「死が未だ非常にひつ迫した状態ではなかつた」のである。しかるに、右被告は、亡涼子において普通の方式の遺言をすることが十分に可能であつたにもかかわらず、敢えて死亡危急時の本件遺言書を作成したのである。その証拠に、本件遺言書の内容は実に余裕をもつて微に入り細にわたつて詳細に作成されており、どうみても通常の状態における遺言書としか見られないうえ、第1項中には「もし本遺言が効力を生ずる以前に右不動産が処分済であり・・・・・・」の文章があり、これは正に本件遺言書の効力の発生がかなり先になることを前提にしたものであつて、死亡危急時の遺言とは言い難いのである。

(二) 次に、死亡危急時の遺言は、遺言者が立会証人の一人に遺言の趣旨を口授しその口授を受けた者がこれを筆記して作成しなければならないのに、本件遺言書では、この要件が履践されていないから、無効である。

すなわち、本件遺言書は、作成者である被告小谷秀紀が昭和59年5月2日ころに作成したものを同月14日の日付に直したものであり、同月14日に亡涼子から口授を受けて筆記したものではない。本件遺言書の立会証人である被告小谷秀紀は、受遺者である被告学校法人加藤学園の理事長(実質上の経営者)の娘婿であるし、他の立会証人の一人である訴外村井忠一は、その校医を勤めている者であつて、このような状況下では民法974条の欠格事由の類推適用を受けてもおかしくないとさえ言えるのである。要するに、本件遺言書は、普通方式による遺言書の書き方になつており、実際そのつもりで作成されたものを死亡危急時遺言に流用したにすぎないのであり、死亡危急時遺言としての要件を具備しているものではない。

4  よつて、原告は被告らに対し、本件遺言が無効であることの確認を求めるため本訴に及んだ。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3の主張については後記3のとおり争う。

3  本件遺言書の作成経過は、次のとおりであり、原告主張の無効事由は存在せず、本件遺言書は有効である。

(一) 亡涼子は、子宮頸部癌で○○○○○○○病院に入院していたところ、昭和59年4月23日かねて旧知の訴外村井忠一医師を通じ、弁護士である被告小谷に遺言の作成について依頼し、同月25日右病院に赴いた被告小谷に遺言について一応の事情を述べた。被告小谷は、同月28日再度右病院を訪れ、亡涼子と面接し遺言の内容を聴取し、当時亡涼子がすこぶる元気であつたので、遺言書作成については、公正証書遺言又は秘密証書遺言にすることを説明し、再度の来院を約束した。

被告小谷は、その際亡涼子から、「生前に自宅を売却して正景に3千万円を渡して、残りは自分で確保しておきたいので、不動産の処分とこれに伴う正景への生前贈与の手続をとつて欲しい。」との希望が述べられたので、亡涼子にそのための委任状の用紙を手渡した。

(二) 被告小谷は、亡涼子から聴取した遺言の内容をワードプロセツサーで書面化し、同年5月2日再度前記病院を訪れ、右書面を亡涼子に示し遺言の内容を確認したところ、4か所変更することになり、その変更した内容で遺言の内容を確定させ、後日正式に作成する旨約し、また、その時前回手渡した委任状3通を受領した。

(三) しかるところ、同年5月14日午前11時ころ、薬を変更したため、亡涼子の容体が急に悪化したとの知らせを受け、被告小谷は、万一の場合を考慮し、急拠、訴外村井忠一及び同弁護士布田知子の両名に危急時遺言の証人として立会うことを依頼し、前記病院に赴き、亡涼子に面会したところ、亡涼子は、いつ死ぬかわからないので早く遺言書を作つて欲しいと懇願した。

被告小谷は、主治医である宮田医師の話から、強い薬を使用しており、今後、急に良くなることは期待できず、また、いつまで生きられるかもはつきり言えない、とのことであつたので、亡涼子に重大な意識障害のないことを右医師に確認したうえ、同日午後2時30分ころ、遺言書の作成にかかつた。

(四) 被告小谷は、まず亡涼子に、遺言書の内容を自分で書くか、自ら遺言の内容を話すか、それとも前に聞き取つた遺言の内容を読み上げるか、いずれかの希望を聞いたところ、亡涼子から読み上げて欲しい旨の申出があつたので、被告小谷が前に聞き取つた遺言の内容の要旨を伝えて全体的了解をとり、次にワードプロセツサーで作成した書面の各条項ごとに読み上げ、かつ、内容を平易な表現に直して説明し、亡涼子の意思を確かめ、亡涼子もその都度口頭で、「それで結構です。」、「いいです。」等肯定の意思表示をした。

これらの作業を行つた後、更に訴外村井忠一も再度各条項を逐一読み上げ、亡涼子にその内容の間違いないことを確認し、了解が得られたので、その書面に証人3名が署名押印し、本件遺言書が作成された。

念のため、亡涼子に姿勢を高くして本人の署名をさせようとしたところ、2、3回署名の練習をしたのみで、亡涼子は、体の痛みを訴え、苦痛で表情もゆがみ、署名をとりやめてしまつたものであり、到底、遺言書を自筆で書ける状態ではなかつたのである。

第三、証拠〔略〕

理由

一  請求原因1、2の事実は、当事者間に争いがない。

なお、成立に争いのない乙第1、第2号証によれば、本件遺言書の内容(全文)は別紙遺言書のとおりである。

二  本件遺言書の作成経緯について判断する。

成立に争いのない乙第2、第3号証、被告小谷本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる乙第4、第5、第7号証、証人宮田修の証言、被告小谷本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  亡涼子(当時満71歳)は、子宮頸部癌の診断で、昭和59年4月6日から○○○○○○○病院に入院していたが、癌の病態はかなり進行した状態(第4期)であり、その治療は対症療法に終始し、生命に対する危険も窺われた。

2  亡涼子は、永年被告学校法人加藤学園の嘱託医(歯科)をしていた関係で旧知の訴外村井忠一医師(やはり同校の校医をしている。)を通じ、同月23日弁護士である被告小谷(同校の顧問弁護土でもある。)に遺言書の作成を依頼した。

3  これを受けて被告小谷は、同月25日前記病院に赴き、亡涼子と面接のうえ、遺言についての説明及び事情の聴取を行い、更に同月28日前記病院に赴き、亡涼子から、遺言の具体的内容について聴取し、その際は亡涼子も未だ元気であつたので、公正証書遺言又は秘密証書遺言にすることを考え、その準備のため再度来院することを約束した。

4  被告小谷は、亡涼子から聴取した遺言の内容をワードプロセツサーで書面化し、同年5月2日再度前記病院を訪れ、亡涼子に右書面を示して内容を確認したところ、数か所手直しすることになり、その変更した内容で後日正式に遺言書の作成をすることになつた。

被告小谷は、直ちに変更後の文章をワードプロセツサーで書面化し、遺言書の成案を作成した。

5  ところが、被告小谷は、同月14日午前11時ころ亡涼子の甥である被告石黒から、亡涼子の容態がおかしく、亡涼子の遺言書の作成を急いでいる旨の電話連絡を受けた。そのため、被告小谷は、万一の場合を考え、急拠、前記村井忠一及び弁護士である訴外布田知子の両名に危急時遺言の際の証人として立ち会うことを依頼し、同日午後1時30分ころ右布田弁護士とともに、前に聞き取つていた遺言書の成案を持参して前記病院に急行した。そして、亡涼子が直ちに遺言書を作成してもらいたい意向であることを確認し、また、亡涼子の苦しそうな様子から、生命も危まれる状態で危急時遺言を作成するしかないと考え、担当医である宮田医師に相談したうえ、同日午後2時30分ころから遺言書の作成にとりかかつた。

6  被告小谷は、まず亡涼子に遺言内容が言えるかどうか確認したところ、「先生が書面を持つているなら、それを読んで下さい。」と言うので、前に聞き取つていた遺言書の成案の要旨を伝えて全体的な了解を得たうえ、次に各条項ごとに読み上げてその内容を平易な表現に直して説明した。これに対し、亡涼子は、明確に「それで結構です。」、「いいです。」等と口頭で肯定する意思表示をした。そして、更に、前記村井忠一も各条項を逐一読み上げ、亡涼子に間違いのないことを確認し、そのうえでその書面に証人3名が署名押印し、本件遺言書が作成された。

なお、被告小谷は、亡涼子に最後の署名だけでもしてもらおうと考え、姿勢を高くして署名の練習をさせたところ、亡涼子は、3回位練習したのみで苦痛で顔がゆがみ、署名することができなかつた。

7  亡涼子は、それから5日後の同月19日午前8年27分、子宮頸部癌で死亡した。

三  前認定事実をもとに検討する。

1  原告は、まず本件遺言当時、亡涼子は「死亡の危急に迫つた者」ではなかつたと主張するが、前認定の亡涼子の年齢、病名、病状及び本件遺言書を作成した5月14日の容態並びにそれから僅か5日後の同月19日に死亡したことなどの事情からすれば、亡涼子は、本件遺言書を作成した当時、民法976条1項の、「死亡の危急に迫つた者」であつたということができるから、原告のこの点の主張は採用できない。

2  次に、原告は、本件遺言書は口授→筆記の要件を履践しておらず、普通方式の遺言書を死亡危急時の遺言書に流用したにすぎないから、適式に作成されたものではないと主張する。

按ずるに、民法976条第1項によれば、危急時遺言の要件として、遺言者が「遺言の趣旨を口授」し、口授を受けた証人が「これを筆記」することとされており、右にいう「口授」とは、言語を発することによつてする意思表示と解される。ところで、右の口授及び筆記が必要とされた理由は、遺言者の意思を外部的に明確にさせ、もつて作成された遺言書が遺言者の真意に合致することを立会証人に確かめさせることにあると解されるから、遺言書作成の一連の過程を全体的に考察し、遺言者の意思が外部的に明確で、かつ、遺言書が遺言者の真意に基づいて作成されていることが確実な状況にある場合には、例外的に、口授と筆記の順序が前後したり、また、予め書面が作成されていたため口授の内容が極めて簡潔なものとなつた場合でも、右の口授及び筆記の要件を充足するものと解する余地がある。

これを本件についてみてみるに、被告小谷は、当初、普通方式の遺言によることを想定してその作業を進め成案まで作成していたところ、亡涼子の容態の急変により、急拠、亡涼子の要望もあつて、右成案を利用し死亡危急時遺言の作成に着手したのであり、亡涼子の意思については、前認定のとおり、右成案の記載された書面を読み上げて慎重に確認し、亡涼子から口頭で、それでよい旨の意思表示を受けたのである。したがつて、本件では、確かに、口授と筆記の順序が前後しており、かつ、口頭で述べられた内容が「それで結構です。」、「いいです。」等肯定の結論だけの極めて簡潔な内容となつているが、本件遺言書作成の一連の過程を全体的に考察すれば、本件遺言書が遺言者の真意に基づくものであり、かつ、立会証人がこれを一義的に確認し得る状況にあつたことは外部的にみて明らかというべきであり、読み上げと相まつて遺言の趣旨の口授もあつたといい得るから、本件遺言書の作成は民法976条所定の要件に反するものではないと解するのが相当である。(なお、原告は、立会証人である被告小谷及び訴外村井忠一について、被告学校法人加藤学園との関係から民法974条所定の証人の欠格事由を類推適用すべき余地があるかの如く主張するが、本件において、かかる類推適用を相当とする理由は見い出せない)。

四  以上のとおり、本件遺言書には原告主張の無効事由は存在せず、本件遺言書は民法976条所定の要件を満たす有効な遺言書ということができる。

よつて、原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 武田聿弘)

(別紙)

遺言書

本籍 地東京都千代田区○○○○○×丁目×番地

現住所 同都豊島区○○×丁目×番×号

遺言者 滝川涼子は○○○○○病院8病棟において左のとおり遺言する。

一 左記不動産は遺言執行者において処分して現金化し、このうち金3千万円を滝川正景に、又金壱千万円ずつを石黒美和子、石黒健にそれぞれ遺贈する。

但し、受遺者が左記不動産につき何等かの権利がある場合はその取得する権利の価格を差し引いて遺贈するものとする。

豊島区○○×丁目 地番 壱五○壱番九 地目 宅地

地積 弐七六・参九平方メートル

豊島区○○×丁目 家屋番号 参五七番 種類 居宅

構造 木造 亜鉛メッキ鋼板瓦交葺弐階建

床面積 壱階 九八・五七 弐階 六弐・八○

もし、本遺言が効力を生ずる以前に右不動産が処分済であり、かつ既に右正景に金3,000万円が贈与ずみの場合はこの限りでない。

石黒美和子、石黒健は、本条の遺贈を受ける場合は遺言者の葬祭、納骨、その他宗教的行事を全うしなければならない。

二 動産については左のとおり遺贈する。

1 18金のクサリ(43g)、キャツアイの指輪、2連の真珠のネックレスは石黒美和子に遺贈する。

2 エメラルドの指輪は石黒健に遺贈する。

3 中田マキ、三木悦子、大島美佐の各氏にはそれぞれ約20万円相当の装飾品を遺贈する。なお、誰にどの装飾品を遺贈するかについては遺言執行者に一任する。

4 加藤学園の八千代豊先生には30万円もしくは同額相当の品物を遺贈する。

三 本遺言書において遺贈の対象とならなかった財産についてはいずれも換金して現金を学校法人加藤学園に寄付する。(前記不動産の換価による遺贈の残額を含む)

四 この遺言の執行者を左記の者とする。

東京都千代田区○○○×の×の×○○○○○ビル×××

小谷法律事務所弁護士小谷秀紀

五 遺言執行者の報酬は相続財産の5%とする。

但し、訴訟の必要ある場合は弁護士報酬規定による着手金、報酬を加算する。

証人小谷秀紀は右遺言を筆記して遺言者および他の証人に3回読み聞かせ、各証人はその筆記の正確なことを承認して左にそれぞれ署名押印した。時午后3時31分

昭和59年5月14日

住所 千代田区○○○×-×-×○○○○○ビル×

弁護士 小谷秀紀

住所 東京都豊島区○○×ノ×ノ×

証人 村井忠一

住所 東京都新宿区○○○○○○×○○ハイツ×××

証人 布田知子

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